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座席という希少資源をめぐる戦い—なぜ妊婦さんに冷たいのか?—

マタニティマークを付けた妊婦さんが電車に乗ると様々な嫌がらせを受けるらしい。座席を譲ってもらえないどころか、わざとぶつかってくるとか、「でき婚のくせに」とか「タクシー乗れよ」とか暴言を吐かれたりとか。。。

 

たしかにGoogleマタニティマークと入力すると、関連ワードとして「危険」というワードが出てくる。

 

政府は少子高齢化対策として、6月2日に閣議決定された『ニッポン一億総活躍プラン』で「希望出生率1.8」を目標に定め、「産めよ、増やせよ、地を満たせ」と出産・育児を推奨しているわけだが、そんな政府の思惑とは別に、日本はますます子供を持ちにくい国になりつつある。海外に行くと、子供はとても可愛がられていて、私の経験でも、飛行機で子供がぎゃーぎゃー泣き喚いていると、フライトアテンダントがより快適な席に座っている人に「子供のために席を交換してほしい」と頼み、その乗客も当然とばかりに快く座席を移っていた。日本ではとうてい考えられない光景だ(そのとき声を掛けられたのが私だったら、果たして快く応じられたかどうか。。。器の小さい話で本当に申し訳ないが、長時間フライトのエコノミーシートの通路側座席と真ん中の座席を交換するのはなかなか大変なことだ)。

 

どうして日本人はこんなに妊婦さんに厳しいのか!と呆れる反面、本来、日本人だってそこまで冷たい人間ではないとも思うのだ。子供嫌いの人もいるだろうが、妊婦さんに嫌がらせをする人の中には、決して普段は冷たい人でなかったり、ましてなかなか快く座席を譲れない人の多くは案外人からは優しい人と言われるような人だって多いはずなのだ。

 

そんな普段優しい温厚な人でさえも妊婦さんに厳しい鬼人間に変えてしまうメカニズムとは一体なんなのだろうか。特にそれを社会的なコンテクストから考えたい。

 

単純に疲れているからであったり、少子高齢化が進み、子供が身近にいなくなって子供に慣れていないこともあるだろう。しかし、なぜに電車の中は特に妊婦さんとそれ以外の人たちとの対立が先鋭化しやすいのだろうか?電車という空間の特有の性質はなんだろうか?

 

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電車の座席が限られているという点が重要なポイントだ。

疲れていればそれだけ座席に座りたい。特にラッシュアワーともなれば座席に座れるか座れないかは快適な通勤・通学に大きな影響を与える。しかし、座席は乗客すべてが座れるほど十分な数はない。というか、圧倒的に足りない。そのため、電車の中における座席はみなが欲しがる希少資源となっているのであり、日々のラッシュアワーは座席という希少資源をめぐる熾烈な戦いを引き起こしているのである。

 

座席は有限な資源である以上、誰かが座れば他の誰かが座れなくなる。しかし、座席をめぐる戦いが各人平等な条件で行われていれば、座れなくてもガマンはできよう。

 

しかし、平等なゲームの中に優先的に座れる特権階層が現れたらどうか。

みなが妊婦さんを優先するというルールを納得していれば問題ない。しかし、マタニティマークをつけた妊婦さんへのいやがらせが相当数あるということは必ずしもルールへの納得感が大きくないのだろう。いやがらせをしないまでも、席を替わらないことは多い。

 

席を替わらない人は冷血漢なのか、といえばそうではなかろう。彼らも疲れているのだ。疲れているのは仕事や勉強をがんばっているからで、彼らは彼らで自分たちは数少ない座席に座れるだけの正当性を有していると考えている。

 

仕事で頑張っている人は報われるべきというルールがあるならば、妊婦さんを優先すべしというルールは頑張りルールとはルールの原則が異なる。妊婦さんを優先するのは努力とは関係なく、医学的な根拠に基づくからだ。

加えて、家事や出産・育児といった家庭内で行われるプライベートな活動への評価が低いこともあるだろう。仕事に比較して家事や出産・育児が社会的重要性が低い行いと認識されていれば、なぜに妊婦さんを優遇せねばならぬのだ、という反発が起こる可能性は高まる。保育園が迷惑施設として近所から嫌われていることといい、従来家庭内で行われていた行為を社会が肩代わりすることへの理解がまだまだ深まっていないのだろう。共働き家庭の増加という社会環境の変化によって社会として出産や子育てに従来とは異なる対応が必要になっているが、人々の認識の変化は社会の変化ほどスピーディには変化しない。

 

妊婦さんや高齢者やけが人が優先的に座れるべきなのは特権ではなく医学等に基づく合理的な根拠による。妊婦さんは子供を育てるために血液をお腹に集中させる。そのため、長時間立ち続けると脳に血が行き届かず貧血を起こしてしまう。

 

その意味で妊婦さんは長時間立ち続けるには不利な条件を課せられている。しかもそれは本人の努力の問題ではなく妊娠に伴う生物学的な原因による。本人の努力でどうにもならないことを責めるのは責任原則からも逸脱する。責任というのは本人ができることをしなかった、通常の人間ならすべきなことをしなかったせいで、誰かに不利益を発生させたりしたときに問うべきものだ。本人にどうにもできないことを責めてはならない。

 

妊婦さんに優先権を与えずに同じルールを適用するというのは絶対的平等という名の下の悪平等にすぎない。

 

それでは、どうしたら妊婦さんに温かく接するというルールに他の乗客の同意を得られるのか。

 

同意の獲得方法は3つ、すなわち、強制、誘引、説得の3つがある。

 

強制は、力の行使によって無理やり同意させることである。

誘引は、金銭等の利益を供与して相手の同意を買うことである。

説得は、相手の価値観や考え方を変えて、ルール自体の内容に賛成させて同意を得ることである。

 

強制と誘引では、力やカネによって同意を獲得しているだけなので、ルールそのものに本心から同意しているわけではないが、説得ではルールそのものへの同意も得られている。

 

妊婦さんに温かく接するというルールを強制によって守らせるには、たとえば罰則を設けて、妊婦さんに危害を加えた場合に処罰して、その処罰を恐れるためにルールに同意させることになる。

誘引では、妊婦さんに優しくした人に電車賃を割引したり、ボーナスやその他ポイントなどを提供することになる。

説得では、妊婦さんを優先すべき医学的な根拠を説明して、相手の納得感を得ることになる。

 

強制では一部の加害行為については現行の刑法でも処罰できるだろうが、あまりに軽い刑では抑止力にならないし、かといって重すぎる刑罰だと他の犯罪とのバランスが難しい。

誘引は、やろうとしても鉄道会社や政府にそれだけの財源を用意するのが難しい。それに強制も誘引もそれをモニタリングする人的・物的資源を確保しなければならない。仮にルールに違反しても誰も監視してなくてまんまと逃げおおせたり、ルールを守っても誰もそれを評価してくれなくて結局何ももらえないのでは、やはりルールを遵守させるのは難しい。

 

しかし、埼京線の痴漢対策と同様、車両にカメラを設置し、しかも一回見せしめ的にそれで誰かを厳しく処罰すれば、始終チェック指定なかったとしても、そのカメラがパノプティコンとして機能するので、抑止力にはなるかもしれない。

 

だが、できればここは説得で解決したいところだ。だって、処罰への恐怖やカネ欲しさで妊婦さんに優しくする社会なんてあまりにさもしくないですか。。。パノプティコンに頼るほうが成果は上がるかもしれないが、できれば、人間の理性に期待したい。

 

では、どのような説得ならいいのだろうか。すなわち、誰がどのような根拠をもって説得をすれば同意してくれる人を最大化できるのか。

 

一つは医師が医学的な根拠を説明することであり、それを周知させることだろう。私も妊婦さんを優先すべきというのは直感的にはわかるが、その医学的根拠までしっかり知っているわけではない。専門的な知識という専門的権威を持つ医師が説明し、それをしっかり周知することは素人が説明するよりずっと効果的だ。

 

お腹が大きくなっていない初期の妊婦さんはぱっと見、普通の人と見分けがつかない。見た目は健康体に見えるので、あえて優遇しなければいけない理由は視覚的には認知しづらい。そのため、見た目は健康でも医学的根拠によって初期の妊婦さんも(こそ)優先的に座るべきことを知らせるのは同意を獲得する第一歩であり、そういった事実を知らない人はけっこう多いのではないか。

 

さらに構造的な要因として日本人の疲労があるのであれば、疲れにくい環境の創造が必要だ。その意味では「一億総活躍社会」よりは「一億総活躍しない社会」くらいのほうが今の日本にはちょうどいいのだろう。もう私も含めて日本人という雑巾は絞れるだけ絞っている状態なので、正直これ以上がんばるなんてけっこう大変なわけです。自分たちが疲れているのに他人に優しくするのはよほどの聖人君子でもなければ難しい。

 

座席の価値がここまで急騰しているのは、みなが疲れていて座りたいという欲求を強く持つ人が多いからだ。疲労を減らして座る必要が少なくなってみなが座席をそこまでして必要としていない資源になれば、対立に激しさは軽減される。

 

長時間労働の抑制は職場における女性の活躍促進という側面があるわけだが、長時間労働をなくして人の心にゆとりが生まれる社会は、妊婦さんにとっても優しいし、妊婦さんに対して優しくできる心の涵養につながるだろうから、是非とも推進してもらいたい。

 

今日はこのへんで。